ちゃださんの日記

「アイデア」「アイデア」という言葉が飛び交う業界で、日々試行錯誤しながらひねり出していこうとしているちゃださんの記録(ほぼ日記?)

地域広報で大切なこと8つ

 

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昨日、「埼玉広報会議」という、自治体の広報担当者が集まるセミナーに参加してきた。自治体広報というキーワードはとてもいま盛り上がっているし、自分でも取り組んだことがあるし、色々な事例も見てきた。何となく分かっていたつもりだったけど、会に参加していかに自分がまだ序の口中の序の口であるということを痛感させられた。

まず驚いたのが「自治体広報って、こんなにいるのか!」ということ。当たり前っちゃ当たり前。1,700以上ある自治体のほとんどに広報の担当はいる。考えてみれば当たり前なんだけど、埼玉を中心とした関東圏がほとんどのこのセミナーで、参加者は何と100名超。このジャンルに関わっている人の多さ、そして熱量を感じさせられた。これは生半可な気持ちで取り組んでも、何の意味もない。そういう気持ちにさせられただけでも、意義のある会だった。

 そんな会で、「いい言葉だなー」と感じた10のキーワードを紹介してみようと思う。

 

①成功するかどうかは、「住民を巻き込めるか」どうか。

自治体が主導する取り組みって、意外と難しい。自分にあてはめてみても、住んでいる町が急に「今日からこんなB級グルメがうちの特産です!」とか言われても、絶対に関心を持つことはない。だとしたらどうするか。どうやって初動から住民を巻き込むか。市民発想のアイデアや、今すでにある種をどうやって吸い上げて形にしていくか。そこを徹底的に考えて、自治体の機能を使って形にし、広げていくこと。それが自治体が果たすべき機能である。

  

②「目的」をしっかり考えることを忘れずに

事業は、何かの目的を達成したいと思って行う。あるイベントが行われる。そのイベントの目的は、本当に「●●人来場」?本当は、来てくれた人にある行動変容を起こしたいと思ってくれることじゃないのか?そんなはき違えた目的設定が行われることはとても多い。誰に、何のメリットがあって、どんな行動をとってほしいのか?本来の目的を忘れることなく、きちんと立ち返れるようにしておきたい。

 

③自治体は0を1にするのが仕事

町にチャンスは色々と広がっている。でも、町の人たちは自分の周りを見るのが精一杯で、町全体のことを考えて動けるケースは多くない。だからこそ、自治体という、周りを俯瞰して見られる立場の組織が、そのチャンスを拾い上げ、一つの形として提案する。そのテーマで頑張っている人たちを集め、つなげ、アイデアを形にしていく。それこそが、自治体の重要な役割であり、この動きを広げていくための重要なツールが「広報」である。

 

④「広報」は一つのツールに過ぎないが、なくてはならないもの。

「広報で住民は幸せになれるか?」。答えは、YesでありNoである。広報する前に必要なのは「広報するもの」。各課が取り組んでいること、住民が取り組んでいること。これがしっかりないことには、広報活動をすることはできない。普段の活動の質をいかに高めるか、も非常に重要な要素である。

 

⑤地域広報を継続していくために重要なのは「住民発信者」

スター広報がいたり、あるタイミングでものすごく予算を広報に投下したりする。それ自体が悪いことじゃないけど、一番の悩みは「継続」。自治体は数年周期での異動が必ずあるため、その人に紐づく知識やネットワークが伝わらないまま、また一からスタートというケースが多い。だからこそ、教育が大切。広報組織のレベルが一定に保てるようなスキーム化もさることながら、もっと重要なのが「住民による発信の担い手」づくり。住み続けてくれれば、住民に異動はない。町のファンになり、継続して情報発信する人を増やすことが、安定した広報活動につながる。

 

⑥その情報発信は、「読んでもらう」のか「見てもらう」のかを考える。

得てして情報発信は、伝えたいことを余すことなく入れて、「読んでもらう」ことを考える。そういう風に考えた結果、やたら長い文章になり、広報誌は文字の詰め込みが起きるケースが多い。でも情報は「伝える」のではなく、「伝わる」ことが重要。一番伝わってほしいものに絞り、見せ方も工夫することで、同じ情報でも全く変わってくる。加えて、その情報って本当に読んでもらうことが最適な方法か?を考える。そもそも、写真で見てもらった方がいいかもしれない。そんな発想の柔軟性が大切。

 

⑦厳しいことも伝えなければいけない広報活動で大切なのは「信頼」

いいことだけを伝えるのが広報ではなく、住民にとって厳しいことを伝えることも広報の大きな役割の一つ。その時、いかに住民にきちんと理解してもらえるか、は普段の信頼関係が大きくものをいう。当たり前のことだけど、いいことも、悪いことも、住民目線で「伝わる」環境づくり、関係づくりが非常に大切。

 

⑧自治体にありがちな「公平性」の罠。目的は「公平」じゃない。

「自治体があの店に肩入れするなんてありえない。なんでうちは紹介しないのか?」。住民全体のための組織である自治体が言われがちなコメントである。そのときどうするか。重要なのは、理論武装。なぜその店を取り上げる必要があったのか。そこにどういう意味があるのか。その大義名分を明快に伝え、取り上げるべき要素がきちんと伝わることが重要。悪しき公平、に惑わされてはいけない。

 

 

 

  

 

 

 

 

 

「来月からがんばる」(例)を最後にします。

今週のお題「卒業」

 

気づけば3カ月が経ってました(笑)。としかいいようのない、怒涛のように過ぎていった2015年Q1。3月の途中から、「4月1日からはブログ毎日書くぞ、1日からは毎日・・・」「とりあえず、3月後半からネタを考えだして、余裕をもってスタートダッシュして・・・」と念仏のように唱えながら、ただひたすらこのページを開くことを拒否してきたが、やっぱりぎりぎりになって開くことになってしまった。

そしていよいよ4月1日。これからは、自分の仕事もかなり変わってくるし、主体的に動いていかないとすぐに飲み込まれてしまう立場になってしまった。ある意味の正念場ともいえるこの状況で何ができるか?このまとまってない感じを今ここでアウトプットしておくことで、きちんと振り返れるようにしよう。いやー、本当にまとまりのない、ただのツイート感(笑)。

ということで自分の卒業は、「区切りのいいところからがんばる宣言」。社会人になってから、ずっと言ってる気がするこの言葉を、今日をもって最後にします。いい加減継続して、蓄積をしていかないと、自分自身の中でも、また対外的にも「自分=○○」という軸になるものができていかない。今年の目標は、「自分自身の芯づくり」だ。

「なりきって」生み出すアイデア

三連休二日目。初日と二日目の今日は、子どもと男二人でほぼ一日をずっと一緒に過ごしている。初日の昨日はお台場にあるレゴランド。3歳以上は一人2,200円(当日券)と、けっこういい金額取るんだなーとWEBで購入しながら思っていたところだが、これは面白い。なんせ、3歳に満たない子どもが主体的にどんどん動き回る。親と違っておっとりと動きの少ないうちの子どもがウソのような駆け回り。そこへ来て帰りの階段に書かれている「当日券を、年間パスポートにアップグレードしませんか?」の文字。わずかプラス3,800円(もはやこう感じてしまう)でここにいつでも行けると考えた自分が、すぐさま申し込んでしまったのは言うまでもない。

 ということで、なんと二日目の今日も今の今までレゴランド。これで一回あたり3,000円。次行けばもう元を取ったことになるわけだ。これはもう明日行くしかないか(笑)なんて思いながら、子どもの休憩中に久々ブログ画面に向き合っている。

 で、今日書こうと思ったのはこのレゴランドの話じゃなくて(でもどっかで書きたい)、出た後に行ったラーメン屋の話。レゴランドから出すため、麺類が大好きな子どもをラーメンで釣りつつ・・一番近くという理由だけで入ったラーメン屋で良いサービスに遭遇。

この店では、「10歳以下のお子さまには、大人一杯につき一杯の子どもラーメンを付けてくれる」のだ。大盛りを頼んで子どもに分けようと考えていた自分にとって、これは渡りに船のサービス。ここでポイントなのは、「子ども用として別に用意してくれる」こと。子どもとお店に入った時に、「辛いのが食べたいけど、子どもとシェアしなきゃいけないし・・・」とか、子どもが「自分のを頼みたい!」とか言ってやむなく注文し、結果ほぼ残されて悲しい思いをする、という経験をした自分にとって、子どものことを考えずに注文でき、かつ子どもも満足できるこのサービスは、非常にシンプルであるものの非常に印象に残った。

 勝手な推測だが、このサービスを考えた人は、自分が親として同じような場を経験したんじゃないかなと思う。独身でこのアイデアは出てこないんじゃないか・・・。そして、親だからこそ自分自身もこのサービスの良さに気付いたということ。

そう考えると、アイデアというのは、そのアイデアによって恩恵を受ける人のことが深く分かっていれば、より生み出しやすいということだ。

とはいえ、自分が「なれる」属性というのは限られている。どんなことがあっても女性にはなれないし、子どもには戻れないし、シニアになるにはだいぶ時間がかかってしまう・・。

その一つの解決法としてあるのが「なりきり」。ただ「ターゲット」というような言葉でその対象を見るのではなく、一回なりきって動いてみること。子どもになりきっておもちゃ屋を巡ってみたり、シニアになりきって旅行してみたり、女性になりきって下着屋に・・・はムリか。そうやってなりきって動いてみることで、今まで気づかなかったようなことが見えてくるんじゃないだろうか?

そんな「なりきり」のことを一つのツールとして紹介しているのが下記の書籍。「考具」では「七色インコ」、「伝わっているか」では「なりきり!」という形で取り上げられている。よくよく振り返ってみると、この本読んでからも一度も「なりきって」なかったな・・・。ということで、まずはせっかくだから「子ども」になりきってみよう!

考具 ―考えるための道具、持っていますか?

考具 ―考えるための道具、持っていますか?

 

 

 

伝わっているか?

伝わっているか?

 

 

「言葉の重み」を知ったうえで使うことがなぜ大切か?(映画「ある精肉店のはなし」を見て)

 上司からの勧めで見に行ったこの映画。本日が上映最終日だったようだが、お客さんは20人程度、そのほとんどが中高年の方、という客層だった。

今、食のプロジェクトに関わっていて、食肉加工については文献やWebなどでも調べてきたし、話も聞いた。実際にと畜工場の中も見せてもらった経験もある。そういった意味では「いのちをいただく」ということに対して多少の理解があるつもりだった。しかし、この映画からは、今までの自分の理解なんかただの上澄みでしかないことを思い知らされてしまった。

何が今までのものと違うんだろうか?おそらくそれは、「生活との密着度」なんだろう。自分たちで牛を育て、それを自らの手で割り(魚や鶏は「絞める」というが、牛や豚は「割る」という表現を使うらしい)、皮をはぎ枝肉にし、内臓を洗い、そしてそれをカットしてお客に直接売る。ここまですべてを自分たちの半径数百メートルの中で完結していることが、この映画から伝わってくるものをより濃くしているんだろう。そして本当に淡々と、淡々と流れるような手つきでその工程を行っていく様が、よりその「生活度」との密着度を感じさせる要素になっている。だからこそ、見終わった後に、北出精肉店が提供するお肉に強烈な興味が湧いてきたわけだ。

「生産者の愛情をどう伝えるか?」ということを現在のプロジェクトでは課題にして動いているわけだが、これはもっと真剣に、丁寧に話を聞かなければいけない。そして、その中から抽出した、一番大切な部分をしっかりと受け止めて、引き出さなければいけない。どういう想いで、どういう使命で働いているか。お客に、食べてもらう時どういう気持ちになってもらいたいか。コミュニケーション活動を行う際の情報収集としては当たり前の内容ではあるけど、実は意外と難しい。よくよく考えると「目の前にある料理をただ食べようとしている人に、生産者のことを理解しながら食べてもらう」ことって、なかなかないわけだから。でも、それができれば、その食材はほかのものとは全く立ち位置の異なる「唯一のもの」としての認識ができあがる。それも、情報を押し込むのではなく、すっと自然と知ってもらい、そして共感してもらえるようなやり方で。これこそ、自分の目指したかった方向。やるしかない。

 

映画「ある精肉店のはなし」の監督、纐纈あやさんに聞く屠場「いのちを食べて人は生きる」【Woman's Story】

人生を充実させるためには「アイデア」の意識が必要。

「アイデアを枯渇させないために」というアイデアは世の中にたくさん転がっているので、それをいったんまとめて俯瞰して、優先順位をつけて試していこうかな、と思っている。思っているだけじゃだめなので、まずはここに書くことで自分を奮い立たせていこう、というエントリ。

にしてもまあ、こう日々色々なアイデアを出さなければいけない立ち位置にいるにもかかわらず、気づくと実務(「共有のための会議」やら、メールチェックやら)に流されてしまう傾向が強い。確かに、そっちの方がやってる感があるし、なによりラクなんだよね、周りからも「ちゃんと仕事してる」というレベルまでの認識はされるし・・・。

でもこれ、ホントに危険。それに甘んじてると一日、1年、いや10年だってあっという間に過ぎちゃう。まさに何にも成長のないまま「茹でガエル」になってしまうわけだ。

折り返しの歳に近づくところまで来ている最近、妙に「人生」ということを俯瞰したくなる気持ちが強くなってきた。今まで、自分は何をしてきたのか、そしてこれから何をしたいのか。それを考えたとき、ビジネス・プライベートともに、常に「アイデア」を意識していくということが、自分の人生をより豊かにするんじゃないかという気持ちが芽生えた。「全部のことを、楽しくしたい⇒そのためのアイデアを考える⇒実践する⇒楽しくなる!」。文字にしてみると、当たり前な気もしてきたけど、一方で文字にすることでいつでも思い返せるというメリットもある。自分への訓示として、残しておこうっと。

アイデアの敷居を下げる、というアイデア。

「なんでもいいから、ね」「ペライチでいいから、なんか」。

みたいな感じで打ち合わせの前に考えてくることを求められる機会って多い。「打ち合わせの前に考えてくる」、このことについては何の異論もない。そっちの方が、1時間なら1時間と決められた時間をより濃いものにできるから。情報共有の時間が20分くらいあって、20分うんうんとみんなでうなって、少し出始めてきたら時間が来ちゃってはいおしまい、みたいな打ち合わせが多いことも事実だから、そうやって「考えてくる」ことを促すだけで、一歩進んでいると言えなくもない。

でもね、「なんでもいい」といいながら、いざ出していくとなった段階で、「これはないよねー」「いやいや、非現実的すぎるわ」「クライアントはこういうことを求めてるからね・・」みたいな否定的な意見がすぐに出てくるっていうケースが多すぎる。とか書いておきながら、正直自分がまとめる立場の時になると、「もうちょっと現実味つけて考えてきてよー」ってなっちゃってたりするわけで・・・。

これは、「いいアイデアを出そう」という気持ちよりも、「早く提出資料としてまとめなきゃ」という思いが強くなってしまっていることが原因なんだろうと思う。だからこそ、できるだけ精度の高い(自分が出したいと思っていた)アイデアを冒頭から求める、ということになってしまうんだろうな。

だけど、アイデアというのはそういう狭い視野から生まれないのも事実であって、まずは自分自身が「なんでもどんとこい!」という姿勢を見せることが一番重要だということ。

それでもやっぱり「アイデア」という言葉は恐い。なんせ、出すことによって「あいつはあれくらいのことしか考えられないんだー」というレッテルを貼られてしまうこともあるから。そんなことはされたくない、だから黙っているに限る、みたいな、もはや訳の分からないセルフマネジメントをしてしまうことも多いんじゃないだろうか?

そんな悩みの解消のきっかけになるいい文章を見つけた。

『アイデアという言葉はかなり重い言葉。それよりも「イメージ」という言葉でやり取りをする。イメージを持っているか、イメージができているか、イメージとしてはどっちの方向か・・・。この方が、正しいか正しくないかはさておき、打ち合わせに入っていきやすい。自分の思いも伝えやすいのです』(佐藤可士和佐藤可士和の打ち合わせ」より)

誰もが気軽に使っている「アイデア」という言葉。気軽すぎるからこそ、その重さに実は気づけないままでいるという現状。一つの言葉が、こうも相手に大きく影響を与えるということを改めて思い知らされた瞬間だった。

ちなみにこれを読んでから、自分の中でも実践をしているところだが、確かに「まとまってなくてもいいや(イメージだし)」「とりあえず思いついただけなんだけど(イメージだからね)」という、心理的なハードルを下げるのにかなり大きな影響を及ぼすことが分かった。これはぜひ今後も実践していきたいし、周りの人にも進めていきたいな(そして、その雰囲気を自分でも作らなきゃね)。 

 

佐藤可士和の打ち合わせ

佐藤可士和の打ち合わせ